所の法に矢は立たぬ

真に心得のない料理人は
 真に心得のない料理人は、常にかような根本主義を誤った低劣な料理をつくり、ふつつかにもみずから玄人をもって任じているのであるが、まことに恐縮のほかない次第である。仮りに豆腐を美味しく食べようとするに当って、思慮ある人であるなら、湯豆腐ならば、焼き豆腐ならば、揚げ豆腐ならば――と、その材料を生かすための最上の方法をまず知ってかかるであろう。と同時に、その材料を吟味するに至る用意をもしてかかるであろう。事実、このくらいのことがわからなければ、また、そのくらいの聡明さをもたなければ、料理人たることはできないのである。
 要するに料理の根本は食品原料、すなわち、さかな、野菜、肉など、なんであっても、大体において、いずれも、その持ち前の味を変えない心掛けが肝要である。西洋料理や中国料理にあっても、そうであることに間違いはないが、ことに日本料理にあっては、料理法と材料の関係上、これを深く考慮しなければならない必要がある。
 西洋料理や中国料理は、食品原料の持ち味に欠けるものが少なくないために、料理する際に、盛んにいろいろな補助味を使って調味し、一種の混成味による料理をつくることは得意のようだが、日本料理に至っては、真に優良美味な食品原料に恵まれているために、補助味と言えば、大部分がかつおぶしの一種で用が足りる。もっとも上方においては、昆布も使うが、日本料理の補助味は、このように至って簡単である。塾の授業の動画配信サイトは塾の家庭教師で授業の動画配信