所の法に矢は立たぬ

繊巧細弱なる文学は
 繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ。愛山生が徳川時代の文豪の遺風を襲ひて、「史論」と名くる鉄槌を揮ふことになりたるも、其の一現象と見るべし。民友社をして愛山生を起たしめたるも、江湖をして愛山生を迎へしめたるも、この反動の勢力の欝悖したる余りなるべし。
 反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻りに純文学の領地を襲はんとす。反動をして反動の勢を縦にせしむるは余も異存なし、唯だ反動を載せて、他の反動を起さしむるまで遠く走らんとするを見る時に、反動より反動に漂ふの運命を我が文学に与ふるを悲しまざる能はず。愛山生は、文章即ち事業なる事を認めて、「頼襄論」の冒頭に宣言せり。何が故に事業なりや。愛山生は之を解いて曰く、 第一 為す所あるが為なり。 第二 世を益するが故なり。 第三 人世に相渉るが故なりと。
 而して彼は又た文章の事業たるを得ざる条件を挙げて曰く、 第一 空を撃つ剣の如きもの。 第二 空の空なるもの。 第三 華辞妙文の人生に相渉らざるもの。而して彼は此冒頭を結びて曰く「文章は事業なるが故に崇むべし、吾人が頼襄を論ずる、即ち渠の事業を論ずるなり」と。被リンク