所の法に矢は立たぬ

歌舞伎役者の地位
されば、歌舞伎役者の地位の向上を認めながらも、「元来河原者なれば素性を糺す時は平人より下なるべし」という筆法で論じていくならば、「穢多同然」という百姓どもの申立てにも一面の道理はある。しかもそのエタそのものが、本来あえて賤しまるべき義務を有するものではなかった。境遇によって高くも低くも変っていくべきはずのものを、万事旧慣を重んずる徳川時代の風潮として、普通民多数の圧迫から、高くなって行くべき者をもその徒の中の特に低くなったものの同類として、その低い地位に均霑せしめようとするがために、種々の悶着も起ってきた。そして為政者の判断が右の如ききわめて不徹底なものであって、それでもってともかくも徳川時代を通ってきたのである。当時の判官たるものは、その行為が物貰いに近いとか、素性を糺せば河原者だとかいうことをのみ知って、さらに遡ってそのいっそう以前の素性を糺すことを知らなかったのである。かくて唱門師の末流の中においても、その職業の選択を誤まったある者の如きは、次第に低い地位にまで押し下げられていったのである。
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