所の法に矢は立たぬ

金沢を中心にして
 金沢を中心にして北陸では、一流どころの旗亭なら、大抵は突出しに出してくれる。しかし、五匁ほどだ。これをお替りすると、五円ぐらいはペロリ舌の上にすべってしまう。乾燥したくちこ、すなわち、このこは網の上に載せ、火に焙って、そのまま食ったり、椀種にしたりする。すましの椀をつくり、マッチの棒二本ぐらいに切ったものを十本ばかり入れて、なにか色どりに、このこの香りを邪魔しないツマを添えて膳に上す。主客椀の蓋を採るとき、たまらない香気を発する。価は価だけのことはある――と思わせる。中国や西洋には、こんな調子の高い美食はないようだ。青々した畳にも合う。啓書記、因陀羅というような万金の掛物をかけた座敷にも合う。根来薄手の椀にも合えば、金蒔絵にも合う。
 これは寒海鼠の胎児の話であるが、そのはらわたはこのわたであって、これは大概の人がご承知のとおり、初見おか惚れという美人ではないが、トロトロと長く糸を引くやつを、一筋舌の上に乗せ、無上の味覚に陶酔し、顔面筋肉は、心の愉悦を表現して、やや弛緩する。そのころ、燗酒ひと口、ぐっと呑み干す。味覚、味覚……、その快味は真に言うべからざるものがある。しかも、その酒杯が古染ネジなどであり、このわたの容器が朝鮮斑唐津などの珍器であったとしたら、まったくもってたまらない。人生の楽事亦多なる哉だ。
(昭和六年)

中学3年生からの医学部受験